2018年10月中旬
駿府城で「秀吉の城」跡が発見されたと新聞ニュースを賑わせました。
駿府城天守台跡の発掘は3年目を迎え、かなりの部分がお目見えしています!
それだけでもすごく嬉しいことですが
今回の発掘で、新たに大きな発見があったことが嬉しいです!
そして、翌日から多くのかたが駿府城に足を運んでいました!
うれしいいいい!
駿府の地は
今川氏が230年という長い間納めていました。
その後は短期間で城主が変わります。
武田氏が今川館を焼き、
その後家康公が入り駿府城を築城しますが数年後関東へ移されます。
そして秀吉家臣の中村一氏が城主になります。
ここで、中村一氏が建築した城がどのようなものだったのか、分かっていませんでした。
新聞では「幻の城」なんて言ってますが、言うたら日本中幻の城だらけですよね。
私は今まで疑問に思わなかったというか、
そのまま建てたばかりの城に入城したんだろうと思ってました。
1589年徳川家康、駿府城二ノ丸まで完成
1590年中村一氏、入城→再建
1607年徳川家康、駿府城を拡張しつつ再建。
支離滅裂ですが、思ったことをメモ
家康が最初に造った駿府城…という説はなし?
330点金箔瓦が出土したからかな?
当時城造りの常識がわからない。
石の積み方や技術進化のスピードが早い時期なのか?
野面積み→打ち込み接ぎ→切り込み接ぎって認識はそのままでいいのだろうか?
築城は城主によってどれほどの差がでるものなのか。
分からないことだらけ!
教えてください(笑)
※このブログで知識は得られません。
適当な個人の感想ですので、参考にしませんように!ご注意ください!
今後の調査に期待!
この縦のラインが中村期
大道芸期間中は、時代衣装体験を開催していたので、忍者になって駿府城公園うろうろしました!
楽しかったー!
お堀を和舟で楽しめる「葵舟」にも乗れました!
イベントお祭り時に定期的にできると嬉しいな。