太鼓は明治6年に江戸城のものが奉納されたようです。

この向かいには五重塔跡。
家光が建てたものらしいですが、神仏分離令で明治に取り払われたようで。今は基礎のみ。
写真がない・・・。
唐灯篭

唐門

ここからは上れません…。
神楽殿の横を通って日枝神社から周ります。
社殿(拝殿)。1617年建立。


何せ狭いので引きの絵が取れません。
広角レンズが欲しい…。その前に一眼レフか←


社殿は手前の拝殿、奥の本殿、その間をつなぐ廊下「石の間」からなっています。
棟梁中井正清が作った「権現造り」で、ここから全国に広まっていきます。
石の間は、日光にもありますね。石敷きではなく畳敷きです。
国宝です!(なったばかり)
塗り替えたばかりで綺麗でした。
きらきら。
不自然なくらいの極彩色。これ特徴的ですよね。
ほぼ当時のままだそうです。素晴らしいな〜。
石の間、本殿は見れませんがなんと結婚式ができるそうです!!
こんな場所で結婚式ができるとは羨ましいです。
そして!ついに家康廟!こちらでは神廟へ!
社殿の奥を進みます。
社殿を見てる方で「お、こっち何があるんだろう」と聞こえました。
わたしにはこっちの方がメイン。
廟門

おおおおおーーーー。

遺言通り西を向いています。
なんか鼓動が落ち着きません。
ドキドキどきどき。

人も少なかったし、とても静かな空間でした。
この下に家康公が…。
あ、日光に御遺体は移されたとのことですが
ここに埋められたことも事実ですし、一部はそのままという話もちらりと。
あと、一年過ぎてから墓を掘り出すというのは考えにくいとかいう話も。
残ってるんですかね←
土葬?棺?
その時の文献って残ってるのかな。
久能山から日光へどう運ばれたかとか。

この鍵が開けられるときはあるのだろうか。あったのだろうか。
神様にそんなことできないか///
400年たった今でもこうして綺麗に残るってすごいですね。
家康だけじゃなくて
人が死ぬってすごいことなんだな。
この先ずっと残っていくお墓。死してなお現在に生きてるような気がします。
平和の基礎をつくった方ならなおさら。
手を合わせ、感謝してきました。
太平の世をありがとうと。
あと、「信長とか秀吉ってどんな人だったの?」と問うてきましたww
隅にあった家康の愛馬のお墓

山に囲まれています。
ほんとに聖域という感じでした。
しばらく浸っていました。
この奥に愛宕曲輪があるのですが、立ち入りが禁止されているようですね。
ただ、お願いすればそういったいくつかの場所の案内していただけるとか…
女子一人ではお願いしにくいのでいつか機会を見ていきたいですね。
ということで次回は久能山城の遺構としての東照宮を見に行きたいとおもいます。