高校のときの歴史資料集の表紙がこの安土城でして。
それからずーーっと行ってみたかった場所。ついに。
【安土城】
縄張:山城
築城:1576年(天正4年)
城主:織田信長→明智秀満→織田信雄
遺構:天守台、曲輪、石垣、堀
標高:199m
歩いて10分程で安土城登城口!
大手道
これでもかってくらいの石垣、石段!!
現代人でも圧倒されますね。さすが大手。
この幅は天皇が輿に乗って通れるように広いんだとか。
こんなとこ登らせるとかすごいな。
所々には石仏が使われています。
神も仏もなかったのかしら?
大手の左右には館跡が多数あり、
いつの頃からか秀吉邸跡、前田利家邸跡とか伝わってますが、それは何かの間違いですよね。
利家邸の奥の石垣の配置の仕方とかみたいな。
秀吉邸もちらりとみただけでしたー。次回!
黒金門跡を通ると城の内郭的な部分へ。
門入って正面の石垣。
仏足石のあるこの空間は武者溜り。
仏足石!
この上の曲輪(伝二の丸)に信長本廟が。
羽柴秀吉が天正11年の正月、三法師に年賀を表すべく登城し、
翌二月、信長ゆかりの品などの遺品を埋葬して本廟とした。
安土城入り口でもらったパンフレットより。
…中に入りたかった…。
本丸へ。ここの石垣すっごくすき。
焼けた跡のある石垣は見つけられなかったっけ?
天守跡へ
枡形の階段を二回
どーん!!
南北それぞれ28mの台地。
この礎石部分は穴蔵、地下の部分ですって。
五層七階、高さ33mの木造高層建築が建っていたんですね。
前の記事を参照。
すごすぎ信長!
天守から少し戻ってハ見寺のほうへ
鐘楼跡下の石垣
三重塔(重要文化財)
室町時代の建物!
柱に享徳三年(1454)建立、天文二十四年(1555)修理の墨書きがあるとか!
ハ見寺本堂跡はこの向かい。いい写真がなかったです;礎石のみ。
安土城築城の際に、信長の菩提寺として移築。
1854年の火災で本堂などほとんどを焼失。
昭和七年仮本堂が大手門近くに建てられていますね。(重要文化財)
少し下ると仁王門!(楼門、金剛二力士立像:重要文化財)
かっこいいーー!
写真見切れててごめんなさい。
金剛力士像の頭部に応仁元年(1467)因幡院朝作と造像銘があるそうで、信長が伊賀より移築。
見所満載!
このまま下った先にも元参道入り口のような階段がありましたが
崩れてて危険なため通行禁止。
大手道のほうへもどり、タクシーで安土駅へ戻ります!!
と、気さくなタクシー運転手さんが「セミナリヨ跡あるよ?よる?」ってな感じで
よりましたw
安土城からこんな近くにあったとは知らなかった…。
さぁ、安土駅へ戻り彦根へ移動です!
→Bへづづく