2014年06月05日

花倉の乱の舞台へ

静岡県藤枝市で開催された「藤枝おんぱく」藤枝温故知新博覧会のイベントの一つに、
【花倉の乱探訪ツアー】があり、参加しました。
花倉の乱とは、言わずと知れた今川家督争いです。
今川七代氏輝の急死により、兄だが側室の子である今川良真(以下玄広恵探)と、正室の子である今川義元が争うことになったのです。



参加すると若い女性が多くてびっくりしました。地元出身の俳優さんが一緒に来ると宣伝していたのでその方のファンらしいです。私のような城好きさんもいたようで、嬉しかったです。



藤枝駅からバスを乗り継ぎ「中田」バス停下車。
葉梨公民館で出発式!
今川義元役と玄広恵探役の方の小芝居に賑わいつつ、
「えいえいおー!!」で出発。

ここからひたすら歩きです。車でも通ることがある地域だったので「こ、ここからかー」とびっくり。

旗がたくさん。これはすごくいい!!
持って歩くのは大変ですが(^^;)



まずは長慶寺でごあいさつ。
【伝今川三代泰範と太源雪斎の墓】


↓花倉城。手前の山。ここまでのぼります。

300mくらい。
新東名が横切ってます。


この辺りから見える周辺の山にも城があり、花倉の乱でも使われたと考えられるそうです。
城と城との距離は3キロがちょうどいいと覚えておこう。

こんないい看板がありました。


この看板のすぐが遍照寺で玄広恵探が住職をつとめていました。
背後は遍照光寺城。別名花倉の今川氏館。
駿河国に入った今川範国がここに館を構えた場所らしいです。
ここに【今川二代範氏、範氏嫡男氏家の墓】があります。

この辺りぶらぶら歩いてみたいですね。
新東名で景観変わってしまいましたが。


ここからぐんぐん登りに入ります。

あと少し。


2時間ほどで花倉城入り口着です!
土橋がお出迎えです!(皆様の足とぱしゃり)






以前は知らなかった北の堀切

尾根を堀切でスパーンと切ってます。
大手は土橋一本。

ここでお昼。
瀬戸の染飯(そめいい)

もちっとしてて美味しいです。

さて、ここからは玄広恵探の敗走ルートです!
花倉城から尾根伝いに山を下ります。
途中の烏帽子形山頂


ひたすら歩くんです。

下りながら恵探は何を考えたのでしょう。
必死だったでしょうか。
といいますか、一度仏門に入った承芳と恵探に家督を次ぐどれだけの想いがあったんだろう。
この時代兄弟同士、親子同士の戦なんて珍しいものではないだろうけど、
その「やるせなさ」みたいなものは感じることはあっただろうなとぼんやり考えました。周囲に翻弄されるっていややろうなぁ。

山を下った恵探軍たちは高山寺に逃げ込みますが、義元軍に追撃され、恵探は数人の家臣と普門庵で自刃します。
【伝玄広恵探のお墓】


皆で御焼香させていただきました。

ここから瀬戸谷温泉ゆらくまでバスでいって、汗を流して解散というツアーでした!!


こんな今川氏のツアーを企画して頂けて本当に嬉しいです。
企画運営の藤枝おんぱくの皆様、ガイドしてくださった静岡古城研究会の皆様、
何より地元の方々がこのツアーの数日前にルートの整備をしてくださったようで、
急な山道も大変歩きやすかったです。
ほんとうに感謝です。


自分達で行く楽しさも好きですが、
案内していただくと勉強になってまた楽しいですね。
機会があったらまた参加します!!





posted by さら at 08:48| Comment(0) | 今川氏関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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