
切り株横の階段。

真ん中の道が土手。
名残がありますね。

小さな祠がいくつもあります。
水神社もいくつか。
現在の安倍川

現在「さつま通り」となっている大通りは、もう一本の内堤があったようで、
柳町の交差点付近をみると道が盛り上がっているのがよくわかりました。
「土手通り」というのもあるのですが、
そちらは土手があったようには見えません。
どうしてその名がついたのか
また調べてみよう。

本通り(旧東海道)までを歩きましたが
土手の名残が各所に残っていて、発見できて楽しかったです!
この安倍川の田町付近は昔処刑場があり、
駿府の町の外れですが見物にくる人が結構いたそうです。
最近昔の駿府の情景がいろいろ浮かんできて嬉しいやら悲しいやらです。
でも、これもこの土地の、人の歴史なのでもっといろいろ知りたいなぁ。
静岡、好き。
参考文献
※1「薩摩土手と駿府城下町」黒澤 脩
※2「さつま通り 薩摩土手の築堤と変遷」朝比奈 清