2016年12月28日

花蔵の乱!義元側陣場を歩く!@

今月17日
今川氏の史跡を案内していただきました。


天文五年(1536年)にはじまった今川義元の家督争い【花蔵の乱】

藤枝市岡部町にある天王山系の山の中にその戦いの痕跡があります。
今回は、まさにその遺構を発見された静岡古城研究会の方にお願いをして、
案内していただきました。

2年前には花蔵の乱で破れた玄広恵探の敗走ルートとされるコースを花倉城から歩きました。
今度は義元側!

まずは十二社神社がある【神入寺跡】
この山の西にある安楽寺の末寺といわれる。

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数多くの五輪塔(南北朝期のものが多いとのこと)があり、
地権者の方によると、まだ沢山転がっているそうです。
駿河記にも描かれています。
「寺なのに神が入るなんておかしな名前。
『陣入』か?」
(゜ロ゜)!!
名前に違和感すら感じなかった…。
明治15年、梅林院の全焼火災に伴い、神入寺本堂と鐘楼が梅林院に移築されています。
今度見に行こう。

ここから山に入り、ガンガン登ります。登ります。
山に慣れてる方々ばかり(;´∀`)
最近あまり山城めぐりしてないので必死です。
尾根に出る手前にはしっかりと虎口が出現。
枡形にもなっていますし、進入路を見張る場所としての作平地もあり!
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ここからは比較的アップダウンはありません。
広めの尾根を歩いていくと、土塁と堀が横たわっています。
【コッチ番(桂島陣場)】
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※静岡古城研究会が当初報告したものには「桂島陣場」とある場所ですが
最近はこちらが【コッチ番】、
「遠見番所」とされていた所が【向番】だろうという説になっているそうです。

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この堀切と堀をみると、向いている方向は西。
恵探の籠る花倉城方面。
このスペースを駐屯地として使ったのかもしれません。

この少し先からの南側の景色
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写真右が方ノ上城(恵探側)
うつってないけど左が花倉城(恵探側)です。
真ん中にぽつっとあるのは朝日山城(今川側)
しばしこの景色を眺める。


いくつかの支尾根があって迷いそうです。
案内がなければ確実に迷います。

途中の小遺構は、コッチ番、向番それぞれへの連絡を迅速に行うための中間地点で
「声での伝達が可能な距離」
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兵士が見えてきたと思ったら、声も聞こえてきました。(脳内戦場)
実際にやってみたい。


【コッチ番】(天王山山頂周辺)

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尾根の手前の谷間に駐屯できるくらいの広さがあります。
花倉城への最前線基地。
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ここでお昼です。
瀬戸の染飯。「恵探敗走ルートツアー」の記事でも登場しました。
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「信長公記」にも登場すると教えてくださったしみずさんに感謝です!!
ありがたく復刻版染飯を頂戴。このもちもち感たまらんです。また食べたい!
(藤枝のスーパーに売ってるらしい)


まだ続くので記事を分けます!
次はこれらの遺構を確信づかせたという二つの支塁!





(参加者)o(^-^o)
サイガさん
さら
しまささん
しみずさん
ちずさん
posted by さら at 23:36| Comment(0) | 今川氏関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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