2017年01月18日

駿府の古道歩きB 宇津ノ谷峠―旧東海道と明治のトンネル―

ラストです。

蔦の細道を下りて
しばらく歩くと坂下地蔵堂手前に、旧東海道登り口があります。
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広いですね。
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切通しも立派です!
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秀吉以前もこのルートは宇津ノ谷集落へ行くために使われていて
大軍を通すためにさらに広げたのではないかと話していました。(明治トンネル模型の前で)
蔦の細道の方が裏ルートだったのでは?
という意見でまとまりました^^
帰ってから宇津ノ谷峠の本を読むと・・・
この場所の山越えは
古代は焼津から日本坂を越え、「手児の呼坂」のあたりを通る道が官道として使われ
あまりに急すぎて大変なため蔦の細道にうつり、
道を拡張し旧東海道にうつっていったとありました。
一般的にこう言われていますが、ほんとのところは分かりませんね。
宇津ノ谷に集落が出来てきたころから、旧東海道の方が使われていたと思うし。

でもそうやって道が移動していくのも面白い。
もっとこの辺りの山尾根道を歩いてみようと思います。

【地蔵堂跡】
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峠の地蔵堂。安全を祈願したところで、街道名物の「十団子」はこの地蔵に対する供物だったそう。
明治42年 宇津ノ谷集落の中心にある慶龍寺に下ろされました。
その前に建てられた秋葉山の常夜灯も一緒に下ろされ、今もあるそうです。
今回は行かなかった慶龍寺ですが、今度行ってみよう。
十団子、昔は宇津ノ谷集落のあちこちで売ってたそうですが今はありません。
東海道五十三次の岡部宿にも書かれていました。


地蔵堂跡を過ぎるともうすぐ宇津ノ谷集落です。
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そしてここでUターンして
明治の道。
明治のトンネル
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日本初の有料トンネル!
明治9年、宇津ノ谷に初めて出来たトンネル。
有志が自費で造ったため、有料トンネルとして認められ、
人力車や荷車など、多くの人が利用していた。
当時はくの字に曲がり、カンテラがあっても真っ暗で危険だったそう。
明治29年そのカンテラから出火しトンネルが崩壊。
しばらく峠越えの道に戻らざるおえなかったが、
明治37年に、県が復興させた。
現在残っているのがこれです。


トンネルを抜けて、少しだけ残る明治の道を歩き、
歩道橋で現在の国道一号線を渡ると
坂下地蔵堂です。戻ってきました。
このあとは、
ひたすら岡部宿目指して歩きます。

ゴール!
【岡部宿大旅籠柏屋】国指定登録有形文化財
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写真チョイスw
藤枝市のHP柏屋紹介ページ

このままここで夕餉とお泊りだったら最高(´∀`)
いやいや時間内に拝観できただけても良かった!
バスで50分ほどかけて静岡駅まで戻りました。
一緒に歩ききってくださった
サイガさん、しみずさん、なっちさん、ちずさん(下見も!)
ありがとうございました!!

土地に歴史あり!
道に歴史あり!
危険を伴う旅だから
感傷に浸ってばかりはいられないと思うけど
景色をみて、その土地の人とも関わって
休憩しながらでも一日少しづつ進んでいく。
それが少し前の時代は当たり前だったんだよな(゜д゜)

古道歩きはそんな当時の当たり前がいかにとかけ離れているかってことも
思わずにはいられないものでした。
もっと寄り添って古道歩きできるといいな。


次は古代の路 日本坂を歩いてみようと思います!


おまけイラスト
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参考文献:新丸子路考/春田鐵雄著
     東海道宇津ノ谷峠―道に咲いた文化/建設省静岡国道工事事務所
posted by さら at 23:12| Comment(0) | 古道歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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