2017年03月12日

おんぱく!小坂路と家康御膳

おんぱく記事です!

「健康長寿・家康公の再現料理を堪能
翡翠の滝見学と小坂散策付き」

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小坂地区には行ったことがありませんでした。
初めての道はそれだけで楽しいですね!
強風の中、自転車で向かうと

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綺麗な早咲き桜が満開(*^^*)

公民館から古代の路、「小坂路」を歩きます!
日本の名前の由来になったとも言われる
「日本坂」に続く路です。
古民家も多くて少し整備したら
もっと有名になりそうないい街道です。
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秋葉神社までの常夜灯

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日本坂へも行ってみたいなぁ

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滝もあったり。

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廃寺があったり。

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そして!
家康公食事を長年調べて実際に提供されている料理屋さん「華」
講演会や語り部もされております。
お邪魔すると古いものがたくさん飾られています!
しまいこんでいたものを並べたそうです。
甲冑もあります。
江戸時代からある食器などを実際に使用しています(*_*)

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自然なものばかりをつかい
どれも絶品!
みなさんお箸がとまりません!
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帰り際に発見した掛け軸。
まさかの丁子屋さんと一緒!
なにやら関係もあるそうで。
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帰りは雨風がすごくて自転車倒れそうになり(;_;)
カフェで休憩しながらゆっくり帰りました☆


また静岡の新しいところを開発できました!
「華」は毎月第2、4の月曜日にやっているそうです。
要予約
ゆっくり歴史を感じながら味わえておすすめです!
(椅子やテーブルはありません。少し高めの座椅子はありました。)

おんぱく来年もやってほしいなぁ
いや、秋くらいにもまややってほしいなぁ(´ω`)


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2017年02月03日

谷津山と愛宕山城

静岡平野の中央に長細く伸びた独立丘があります。

【谷津山】
標高108m
面積約75ha 北東〜南西に約2キロ
幅200m〜600m

静岡平野は太古には駿河湾の入江だったので
この谷津山はだったんですね。
現在、この山の周辺は住宅あり、ショッピングモールあり、学校あり。
ハイキングとしては最高です。

最近は北東端の愛宕山城の方しか訪れていなかったので
いつか全部回ってみたいと思っていて、実行できました。

清水公園からではなく、少しそれた瓦場町から登ります。
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この地名は、徳川家康が三河からよんだ瓦職人を住まわせたことが由来らしいです。
最初の広場。
清水山古墳です。円墳。
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大正6年に発掘され、石棺が四つ安置されていたそうです。
前にここまできたとき、古墳だと知りませんでした。
ちょっと草木がボーボーで分かりにくいです。


尾根を歩きます。
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景色も綺麗だし、道も歩きやすいです。
ベンチもたくさんでピクニックに最高の場所
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富士山もとっても綺麗でした!!

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登って降りて。
ちょっと階段がキツイところもあります。
尾根にはいくつも降りる箇所があるのでリタイヤできますw
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縄張図にはないのでここは切通という判断なのかな.

この先には縄張図にもある堀切があります!
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【愛宕山城】←2014年に書いています。

北麓には北街道、南麓には東海道がはしり、東もよく見渡せます。
駿府城の東北方面の抑えとしての機能を十分に担える最適の場所。
いくつもの支尾根には堀切や数段の曲輪を配置。
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整備によって変わってしまった部分もあるかもしれませんが
市内でも良好に残っている数少ない山城だと思います(´∀`)
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愛宕霊園の方へ降りて
護国神社にまわって、
その先の登り口からまた登って
谷津山古墳のところへ戻りました。
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古墳の上に徳川時代から柚木の(地名:ゆのき)氏神、浅間さまの小社が祀ってあります。

【谷津山古墳】前方後円墳
明治12年(1879)発掘された。
内部は全部朱詰めだった。
人骨はなし。出土品多数。


清水寺をゴールにハイキング終了です。
清水寺はまたあらためて!
今川氏、徳川氏ゆかりのお寺です!


ゆっくりいっても2時間あれば往復できますのでサクッとハイキングしたくなったら行ってきます♪



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2016年04月19日

八幡山砦、二つ山砦―田中城攻めの陣城―

この日は志太郡周辺の城をいくつか回りました。
駿河のとなりでよく通る付近なのに行っていない城ばかり。
気になっていた場所にやっと足を踏み入れます。

【八幡山砦(やわたやまとりで)】
藤枝市の国道一号線と葉梨川とが交差する北「青山八幡宮」が八幡山砦です。
桜が綺麗な時期でした。

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青山八幡宮は、この山が京都の清水寺がある男山に似ていることからその別宮として
1063年頃に建てられたそうです。
戦国時代にはすでに500年以上経ってるんですね。

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土塁が残っていますが、どうなっていたかはよくわかりません。
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切岸下にある穴地形
何に使ったのかな。

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堀切や竪土塁(?)も見られます。
南側は斜面も急で、葉梨川が流れていて、天然の堀。
南に田中城(徳之一色城)があります。



武田領になった田中城を攻めた徳川方の陣城として「二つ山砦」がありますが、
八幡山砦も距離的にも近く、徳川方の陣城として運用された可能性があります。
(参考資料 「静岡県の城跡 中部駿河国版」)


二つ山砦も行きました。
【二つ山南砦(正泉寺山)】
主要部削平地のほかはよくわかりません。
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【二つ山北砦(藤五郎山)】
岩城神社(八幡山)となっている一帯。
かなり広いです。
昔は西側に藤五郎山、東に池田山があって、
もっと大きな陣城だった可能性があるそうです。
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葉梨川を挟んで北に八幡山砦。
瀬戸川を挟んで南西に二つ山砦(と烏帽子山砦も)。
田中城に睨みをきかせてたということがわかりました。



次は花沢城に行きました。

ラベル:静岡の城 静岡
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2016年04月07日

桜咲く駿府城2016

桜満開です。
去年か一昨年植えられた桜がかなりいい枝振りになっていて、
整備された西側もきれいでした。


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このお花見!って感じ好き。

人に聞いた話ですが
遺構には桜はよろしくないそうですね。
根が這って石垣や土塁を傷めてしまうとか。

2011年の8月の地震で駿府城の石垣が数ヶ所崩れました。
石垣の上の土塁に桜の木があり、
その木が堀に倒れて石垣もガラガラと崩れていた印象があります。
そういうことなのかな
と思っていますが
やはり城が映える桜はいいなと思いますね。この時期は特に。

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でもこの石垣や土塁が崩れるのはやっぱり嫌だ(^_^;)
どう保存していくのが一番いいのかな。

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夜も賑わっていました。
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来年も見れますように。
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駿府城―大手門と城代橋―

4月1日〜5日は静岡浅間神社で行われる「廿日会祭」
4月1日〜3日は静岡まつりで、静岡市街は大変にぎわっていました。

4月6日、城の日ですね。桜満開で見頃でしたので大手門周辺を少し歩きました。


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駿府城の大手です。
ここを通らない人が多いのであまり知られていませんが
やはり大手門の石垣。綺麗です。
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しっかり枡形。
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どこが積み直しとかがわかりませんが
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この積み方が明らかに違う部分が、ちょうど門のあったところですね。
どんな門だったのでしょうか。
地面に礎石跡の位置が記してあります。

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城代橋
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ここの城内側の土塁が好きです。
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昔はこの小道をこれが城の遺構だと知らずに歩いていたな。(新静岡駅への近道なので)

旧青葉小学校は城代邸跡。
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今回発見した碑(^_^;)



ラベル:静岡の城 静岡
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2016年04月05日

遠州龍潭寺−井伊氏菩提寺−

遠州龍潭寺。
引佐町井伊谷にある、井伊氏の菩提寺です。
南朝の宗良親王の菩提寺でもあります。


すでに来年の大河ドラマ「おんな城主直虎」の影響がでており、駐車場は満車でした。
来年は大変なことになりそうですね。
路線バスも本数が少なく、道も狭い。天浜線の駅からも遠い。
遠いけど浜松駅からの直通バスを希望します。絶対利用客いますよ。

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県指定文化財 庫裡
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小堀遠州作庭園
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墓所もあります。
桜がきれいでした。


2017年の大河ドラマが「おんな城主 直虎」になりましたが、
その存在を知っていた人がどれほどいるのでしょうか?
私は全く知りませんでした。
ですが、「静岡県!!遠州!!」ということでものすごく嬉しいです。
嬉しいのですが、かなり不安な点があります。


まず、脚本家とプロデューサーのインタビューの記事を見て落胆しました。
はちゃめちゃなことやりそうな気しかしません。

私は調べた訳ではなく、直虎が主人公となっている「小説」を2冊読んだだけです。
そもそも資料が乏しい歴史上の人物を大河主人公にするのは「脚色してなんぼ」になると思います。
ドラマなのですから当たり前ですよね。
あらすじを見ていると恋愛重視になりそうな気もします。
最悪、どうにか「面白く」するためにファンタジー大河になってしまっても、
しかたがないと思うております…。
そんな心構えをしつつ個人的には
 恋愛どっぷりは嫌だな。
 かといって「強い!たくましい!」だけにならないでほしい。
 今川義元のイメージが《弱》から《悪》になるのでは?
など期待と不安が入り混じっております。
ただ、知名度が低い主人公だからこそ、ほんとうに歴史好きな方々に作っていただきたいです。
今年の大河にすでに嫉妬|д゚)
いやいや、応援しております。

浜松の方では講演会も増えているようですね。
一度くらいは聞いてみたいです。
この日は時間がなかったので龍潭寺のみでしたが、
周辺もう少し歩いてみたいです。


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井伊氏発祥の井戸は歩いてすぐの田んぼの中にありました。
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来年までに、もっといろいろ知りたいですねー。
会わせてオフ会もやりたいな。

ラベル:静岡
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2016年04月04日

城之崎城(見付古城)−地形を見る−

磐田原台地の先端部分にある城之崎城(きのさきじょう)。
現在は磐田城山球場になっていました。
ででん。
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武田と徳川が遠江を取り合っていた時期に、
遠江支配の居城として徳川家康が築城。

土塁のあとを利用して外野席になっていました。
現代の有効活用(涙)…(嬉)
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土塁上

にしても高いです!
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周りも土塁そのままになっている(ような気がする)部分もあり。
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東側には堀跡も残っていましたがかなり大きくてびっくり。
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古地図を見ると、街道側以外の城の周りが「入江」「沼」となっていました。
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高低差がすごい。
これは上の写真の堀から続いてたのか、自然に落ちてた地形のかわかりません。
でもここが台地なのはよくわかります。


ネットで磐田市の地形を調べると、磐田原大地の先端地域は
ほとんど湿地帯や潟湖になっているようです。
岡崎城(袋井市)や馬伏塚城もこの一帯で、潟湖に囲まれていたようです。
袋井市の方もまた行ってみなくては。


その土地の地形や地質、水質を知ることが、
そこに生きてきた人の歴史を感じられる一つの大きな史料だと
最近よく思います。




私が城や史跡が好きなのって
そこに生きた人たちの足跡、息吹が感じられるからなんですよね。
なんかくさいこと言ってますがほんとにそれに尽きる気がします。
だから本当はもっと「人物」とか「生活」とかに焦点を当てた歴史の見方をしたらいいのですが、
現代でも目に見えるものってすごくないですか?
当時の人間が見ていたものが、今の私にも見れるってすごいなっていつも思います。


「すごい」に変わる言葉を探していきたいです。。。
すごいの一言ではないんですが私のあれが足りないばかりに(;´д`)

県内でも行ったことのない場所は沢山あるし、磐田市もなーんにも気にせず通過してるだけでした。
こうやってまた一つ、地域のこと(+歴史)を知れてとても嬉しい。



この日はこのまま三方ヶ原を抜けて
井伊谷へ行きました!!!
天竜川水系のことも知りたいなー。
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2016年03月09日

新野古城(八幡平の城)−今川氏一族新野氏の城−

県別まっぷるにも「八幡平の城跡」で載っていました。
来年の大河のためか、「新野氏ゆかりの地」看板がたっていました。
城への案内の充実してます。

室町時代初期に八幡平の城、中期から後期に主要部を舟ヶ谷城に移したということで
八幡平の城を「新野古城」、舟ヶ谷城を「新野新城」というそうです。

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一城別郭でそれぞれ二つの曲輪とそこから伸びる尾根を数カ所堀切でさくっと切っています。


写真は新野古城のいろんな堀切…
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曲輪の下には通路を兼ねた堀、土塁が見られます。
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よく残っていました。


今度は舟ヶ谷城にもいかねば。
あと塩買坂!!


全景
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2016年03月06日

横地城−遠州の名族横地氏の城−

横地城(静岡県菊川市)

ずっと行っていませんでしたが
こちらもやっと行きました!
整備がされていて大変見やすかったです。

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山の尾根を利用した、一城別郭の城。
西の城、中の城、東の城からできていて、かなり広大です。
全体的には細かい支尾根を壇上地にして、その先を堀切でスパッと切る造り。
堀切がいくつもあります。

西の城の堀切
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横地城の堀跡は、発掘調査の結果、堆積があまりなく、現状に近い状態だそうです。


中の城の特徴は、周囲を囲む土塁と、すぐ下の横堀。
堀底0.9mと小規模。
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写真は曲輪の上から土塁越し。
堀もうっすらわかりますね。


東の城
井戸跡確認し忘れました。
谷間に一つあったけど。
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さくさくっと見たので
周辺の史跡もあわせて再訪します。
posted by さら at 21:50| Comment(0) | 静岡の城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月05日

小笠山砦−高天神城攻めで活用された陣城−

やっと行けました!
小笠山砦!

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家康が高天神城攻めで造った砦は六つどころではないのですが
中でも小笠山砦は最大の規模。
小笠山砦から六砦すべて見えるらしいけれど、高天神城の位置もおぼろなため、
まだまだです(´・ω・`)

今川氏真が篭る掛川城攻めの際も使われたという記録もあるそうで、
遠くに掛川城も見えました。

しかし地形がすごい。
崩れの跡も多く、地層も見れて面白い。


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小笠神社入り口からはいります。
700年頃創建されたそうですから当時もすでにあったんですね。

横堀ありました!
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尾根筋から緩やかな両斜面に壇上地がもうけられ、
その下に堀を廻らせてます。
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その先の尾根はがっつり堀切で切ってます。
土塁も高い。

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進むと全面に堀が!
写真の左は馬出部分です。
三つの尾根が交わる城の中心部です。
堀、土塁がかなりいいです!


多聞神社から北西へ伸びた尾根の
横堀、土塁。高天神城の横堀似てます。
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↑土橋というか尾根筋かな。
崩れすごいから今から400年後とか残ってるのでしょうか…。

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西南へ延びる尾根の堀切は古道になっていたのか
堀底が続いていましたが、とにかく凄い崖です。今は歩けません。

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虎口、土塁。

遺構ももちろんすごくよかったのですが、よくここで土木工事しましたねと感心というか。。
場所的には、高天神城も砦も見えるは、掛川城も周辺砦もすべて見渡せて最高なので
当然なのですが。

「縄張り」考える人って凄すぎる。
街道と地形よんで「ここを城とする!!」って決めて
「ここに堀を巡らせて、ここに武者ためて、井戸はここ。
兵糧と武器はここで、あ、まずは殿をここに」とか(あくまで想像)
命懸けですよね。戦ですからね。


粘土質の関東ローム層と
この辺の砂礫の地質の違いって城作りにも影響したでしょうね。
石垣の城が西の方で栄えたのもわかりますね。
加工する石がないもの。
そうなると西の地質が気になりだしてきたぞ


とと、なぜか最近地形通り越して地質に興味がf(^_^;
だれか詳しいかた、教えてください。


最後に怖すぎて通れなかったとこ。
右側は数十メートルの崖です。即死です。
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高天神城攻めの砦は、これが初めてでした。
今度は1日かけて砦巡りしたいです。
はやく位置関係を覚えたい…

この後
横地城
八幡平の城
へいきました!



適当な記事ですが
読んでくださってありがとうございます!
ラベル:静岡の城 静岡
posted by さら at 20:35| Comment(0) | 静岡の城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする