2011年12月06日

久能山東照宮(久能山城)@

言わずと知れた、徳川家康の墓です
家康の遺言によって、二代秀忠が建立しました。


地元静岡でも有名ですが、案外行ったことのない人も。
わたしも最近までその一人でした。

階段が1159段あることや、
それ以外のルートが、ロープウェイを使わないと
たどり着けない場所にあるというのが、行きづらい印象になっているのかも。
実際車で行けないというと、近くても遠いですよね。


とはいっても、
22年12月に国宝に指定されてからは参拝客も増える一方だそうです。
地元民としてはほんとうに嬉しい。


静岡駅より南にバスで30分ほどでしたか。
「久能山下(くのうやました)」で下車。
海側全景
全景.jpg


こちらから1159が始まります。
いちいちごくろうさんと皮肉った語呂合わせで有名。
東照宮下鳥居.jpg

入り口付近の壁
信長塀に似てません?崩れてますけど。
階段右塀.jpg




はじめから構えて行ったので、ゆっくりゆっくり、途中で休んで、と登っていったら
思ったほど大変ではありませんでした。
下から見ても「大変そうだー」と思ったので気を引き締めました。
その石段は見事!!

表参道の石垣
石段1.jpg

石段2.jpg


6月だったので紫陽花も見れました。
でもとにかく暑かった;



おっとここで現地看板を
東照宮鳥瞰図.jpg

と、いろいろあるのですが、
日光東照宮のように大きくありません。
日光は二度ほど行きましたが、あちらは何もかも壮大できらびやかですごいですね!
なぜああも規模が違うのかな…家光さんが改修なさったんですよね。
この辺りは日光の記事で。



一ノ門までくるともう少し!
一ノ門.jpg
ここから見る駿河湾はなかなかですよ!
かなり岸壁の城だと思う。
削られて今の地形だし、武田信玄がここにあった寺を城に改めたのも納得。

ここからの海原の景色を家康もきっと見たのだろうなと思いをはせつつ休憩。一ノ門内側.jpg





さてあともう少し。
結構いろんなところにある山本勘助の井戸を素通りし(お好きな方には大変申し訳ない)



楼門下に着!重要文化財です。1617年建造
楼門.jpg


後水尾天皇の筆「東照大権現」がかかげられているので「勅願御門」とも言われてます。
楼門看板.jpg


楼門の獏
楼門の獏.jpg


彫刻にはすべて意味があるんですよね・・・
えっと、勉強します。


楼門内側
楼門内側.jpg




Aへ続く・・・
ラベル:静岡 静岡の城
posted by さら at 10:47| Comment(0) | 静岡の城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

久能山東照宮(久能山城)A

楼門に入ってすぐに鼓楼
太鼓は明治6年に江戸城のものが奉納されたようです。
鼓楼.jpg


この向かいには五重塔跡。
家光が建てたものらしいですが、神仏分離令で明治に取り払われたようで。今は基礎のみ。
写真がない・・・。


唐灯篭
灯篭.jpg

唐門
唐門.jpg

ここからは上れません…。
神楽殿の横を通って日枝神社から周ります。



社殿(拝殿)。1617年建立。
拝殿.jpg

国宝社殿.jpg

何せ狭いので引きの絵が取れません。
広角レンズが欲しい…。その前に一眼レフか←

拝殿2.jpg

拝殿3.jpg


社殿は手前の拝殿、奥の本殿、その間をつなぐ廊下「石の間」からなっています。
棟梁中井正清が作った「権現造り」で、ここから全国に広まっていきます。

石の間は、日光にもありますね。石敷きではなく畳敷きです。


国宝です!(なったばかり)
塗り替えたばかりで綺麗でした。
きらきら。
不自然なくらいの極彩色。これ特徴的ですよね。
ほぼ当時のままだそうです。素晴らしいな〜。


石の間、本殿は見れませんがなんと結婚式ができるそうです!!
こんな場所で結婚式ができるとは羨ましいです。



そして!ついに家康廟!こちらでは神廟へ!
社殿の奥を進みます。
社殿を見てる方で「お、こっち何があるんだろう」と聞こえました。
わたしにはこっちの方がメイン。

廟門
廟門.jpg


おおおおおーーーー。
神廟.jpg

遺言通り西を向いています。


なんか鼓動が落ち着きません。
ドキドキどきどき。

神廟2.jpg

人も少なかったし、とても静かな空間でした。
この下に家康公が…。
あ、日光に御遺体は移されたとのことですが
ここに埋められたことも事実ですし、一部はそのままという話もちらりと。
あと、一年過ぎてから墓を掘り出すというのは考えにくいとかいう話も。
残ってるんですかね←
土葬?棺?


その時の文献って残ってるのかな。
久能山から日光へどう運ばれたかとか。

神廟鍵.jpg

この鍵が開けられるときはあるのだろうか。あったのだろうか。
神様にそんなことできないか///

400年たった今でもこうして綺麗に残るってすごいですね。
家康だけじゃなくて
人が死ぬってすごいことなんだな。
この先ずっと残っていくお墓。死してなお現在に生きてるような気がします。
平和の基礎をつくった方ならなおさら。


手を合わせ、感謝してきました。
太平の世をありがとうと。
あと、「信長とか秀吉ってどんな人だったの?」と問うてきましたww


隅にあった家康の愛馬のお墓
愛馬の墓.jpg


山に囲まれています。
ほんとに聖域という感じでした。
しばらく浸っていました。


この奥に愛宕曲輪があるのですが、立ち入りが禁止されているようですね。
ただ、お願いすればそういったいくつかの場所の案内していただけるとか…
女子一人ではお願いしにくいのでいつか機会を見ていきたいですね。




ということで次回は久能山城の遺構としての東照宮を見に行きたいとおもいます。


ラベル: 静岡 静岡の城
posted by さら at 10:30| Comment(0) | 静岡の城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月18日

浜松城、曳馬城

言わずと知れた(?)家康の城。
歴代城主が幕府の重臣に出世したため「出世城」なんていわれておりますね。
たしかそんな名前のお酒が売っています。

【浜松城】
縄張:梯郭式平城
築城:1570年(元亀元年)
城主:徳川氏
遺構:復元天守閣(s33)、曲輪、石垣

JR東海道浜松駅から遠鉄バスで「浜松城公園前」下車すぐ
歩いても30分くらいだったかな。


家康が29歳〜45歳までの居城です。
武田と戦った三方ヶ原の戦いではこの城に逃げ帰り、
空城の作戦で命拾いしました。

コンクリートの天守閣はあまり情緒ありません;
小さな資料館となっております。
浜松城2.jpg
入城.jpg



浜松城南から.jpg

石垣は一部修復復元したようですが、ほぼ当時のもの。
石垣ファンには根強い人気(私の勝手な調査による)野面積み
いやほんと素敵。
浜松石垣.jpg
浜松城石垣.jpg
天主台手前.jpg
浜松石垣2.jpg


分かりやすい看板があったので
石垣看板.jpg


若き日の家康像。
若き家康.jpg


市役所別館前にある家康鎧掛松
鎧掛松.jpg
三方ヶ原の合戦より帰城した家康が鎧を脱いで松の枝に掛けたと伝わる…。
この手の伝説めいた言い伝えがこの地域には多くあります。
本当か分かりませんが、伝説にも思いを馳せるのは好きなので信じておきます。


【曳馬城】
曳馬城跡.jpg
浜松城の前身である曳馬(ひくま)城跡が国道を挟んだ向かえにありました。
全然知らなかったのですが
調べてみると元は今川氏の城だったようで。
本をみると鳥瞰図がかっこよかったので(←)また調べてみようと思います。
現在は家康を祭る東照宮となっております。
浅間神社曳馬城跡.jpg


実は浜松城公園の中をあまりまわっていないので
再訪したらちゃんと写真撮ってきます。こんなのばっかだな;
まだ城巡り初期なので。


ラベル: 静岡 静岡の城
posted by さら at 22:46| Comment(0) | 静岡の城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

田中城

静岡県藤枝市にある田中城です。


【田中城】
縄張:円郭式平城
築城:1537年(天文6年)
城主:今川氏〜武田氏〜徳川氏
遺構:現存櫓(移築)、門(移築)、曲輪、土塁、堀


JR東海道本線西焼津駅よりバスで下屋敷入り口下車すぐ

訪れたのは7月。なんとも暑い日でしたら、西焼津駅から徒歩で向かいました^^;
30分くらいはかかったかな。


なんといっても覚えやすいのは
珍しい円郭式の縄張りであること。
田中城鳥瞰図
田中城図.jpg
幕末ころの田中城↑


江戸時代に入ってから四ノ堀まで増築され、直径およそ600mの円形をした城に。
現在本丸跡は小学校になっており、近くに三日月堀が残っています。
円形の水堀は残っていませんが、現在でも道路が円を描くようにカーブしています。


田中城下屋敷は、当時四ノ堀の一部だった六間川の外、城の南東隅にあった下屋敷跡です。
江戸時代後期には城主の下屋敷(別荘)が置かれ、築山・泉水・茶屋などを設けて四季の景色をたのしんだともいわれています。
下屋敷跡の庭園を復元する際、田中城にゆかりのある当時の建物をここに移築・復元しました。


田中城本丸櫓(現存移築)と冠木門(かぶきもん)(復元)
田中城門

田中城櫓

入城は無料です。
公園のような感覚なのか。
でもしっかり現存。
櫓は本丸にあったもので、高さ2.7mの石垣の上に建っていたといわれてるそう。
明治には住居として使用されていたようですね。
一階も二階も畳がしかれていて、こじんまりしていてなんだか落ち着きました。
櫓中



屋敷内は庭園が整備され、
櫓の他に茶室、仲間部屋・厩(ちゅうげんべや・うまや)、長楽寺村郷蔵があります。
写真を誤って消してしまってないのですが;
厩には馬の模型があってびっくりしました。




余談:
この日茶室にコスプレイヤーさんがいました。
なんとも似つかわしくないと思いきや、時代的には似合っているというアニメのキャラで。
はい、わたしも好きなアニメだったので思わず話しかけました。
茶室も見たかったし。

撮影場所にはいいと思いますが、一般の客が来たら少し退くとかして頂けると
ありがたいですね。
写真撮れないですし。
まだ櫓の中にいなくてよかったなと思いました;
さすがにどいてくださいとは言えないですしね。





土日だけかもしれませんが、ボランティアさんによる史跡案内をお願いできるようです!
わたしは平日に行ったので一人でぼーっと見てました。
時間もなかったので下屋敷しか行けませんでしたが
周囲には土塁跡や三日月堀、門などの遺構が少し残っているので
次回は巡れるといいな。


駿府城の家康がここで鯛の天ぷらを食べたことが死因だとされる説もあり。
真相はどうなのかしら。



参考資料
現地パンフレット
辰巳出版「お城の地図帳」
ラベル: 静岡 静岡の城
posted by さら at 13:36| Comment(0) | 静岡の城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月05日

持舟城

持舟城(もちふねじょう)
訪城日:平成22(2010)年.10月

この城は、私が本格的に「城に行こう!」と思い始めてまず行った城です。
とても近かったんです。
自己満足の城動画を作るつもりだったので、写真よりも動画が多く、
さらに時間もなかったことから、本当に障りだけです。
近々行ったらまた追記する予定。


参考資料は現地看板…他。


【持舟城】
縄張:山城(標高76m)
築城:今川氏→武田→徳川→武田→徳川
はじめの城主:一宮元実(今川氏属将)
遺構:土塁・郭・堀切・井戸

築城年代は不明だが、今川氏の時代には築かれていた。
今川・武田・徳川の間で三度の攻防戦が行われ、
天正7(1579)年の武田氏VS徳川氏の戦いでは、4百人余りが戦死するという激戦の末、
徳川方の城となった後、やがて廃城。





JR用宗(もちむね)駅より徒歩15分
駅を降りて線路を渡るために、東に少し歩いて線路を渡り、ぐるりと回りました。
駅から線路の北側に下りることができたら目の前なのですが。
駅前の看板にはしっかり書いてあります。
持舟城看板.jpg
地元でも知名度はそうとう低いと思います。
誰に言っても「え、あんなとこに城あったの??」です。


主に駿河守備の支城として重用されます。
昔は用宗駅のあたりから駿河湾が広がっていたようなので
船着場ということで「持舟」という名前になったようですね。

駅を東に歩いていくとこんなものが。
城山烈士供養塔
CIMG3410.JPG
最初に徳川家康に攻められた時に討ち死にした向井正重らを供養するものとのこと。


メモ:
向井正重(むかいまさしげ)
今川氏、武田氏に使えた水軍の将。
息子の向井正綱(まさつな)は、武田が滅ぶと徳川氏につき向井水軍として小田原攻めなどでも活躍する。


山麓の浅間神社の脇を入り、舗装された道路を少し歩くと右側に細く小さな階段があり
「持舟城址→」とあります。
登城口です。
急に細道。蜘蛛の巣だらけでした。
CIMG3422.JPG

途中転びそうになりながら急いで駆け上がると(何せ時間が無かった)
10分もかからず本曲輪へ到着。
綺麗で分かりやすい看板も設置されていた。
持舟城縄張看板.jpg

縄張り図も持たずに出たのでここで知る持舟城の全景。
・本曲輪、
・南西側のくぼ地に大堀切
・井戸跡(曲輪)、
・その南側に二ノ丸(二の曲輪)
・本丸の北側に腰曲輪

があったそうです…。
今回見れたのは本曲輪、堀切、井戸。
二ノ丸は私有地のみかん畑らしく、登るところも分からず。
腰曲輪は木が生い茂っていて入れず。



とりあえず本丸到着。
持舟城石碑.jpg


本丸には廃寺があるというので期待していたのですが…
行ってみると綺麗になくなっていました。
CIMG3438.JPG
(夕方で思いっきり逆光ですが)
たぶんここにあったお寺の名残の石灯籠。
堀切、二ノ丸はこの後ろ。
向かって左側にあるかすかな坂を下りることができます。


堀切底からみる井戸(フェンス)何故かわたしは近寄れなかった…再訪します。
堀切からの井戸


当時私は、天守閣のあるお城にしか行ったことがなく、
規模は小さいけれど、こういった言わば天然の「山城」(しかもほぼ未整備)に慣れていなくて、
あまり奥まで進んでいくコトかなわず。

人気も少ない、しかも本丸に来た私以外のお一方は
何故か長い得物を持っていたのですよ。
「何あの長いの…怖い」とちょっとブルブルしてましたら
「竹刀」だったようで。
素振りに来ていた御仁でした。
まさか武士の末裔…!!←

帰りは大急ぎで下山しました。
猛スピードです←
3分くらいだった気がするw


持舟城、必ず再訪します。
次回は堀切、井戸、腰曲輪、とかもう全てですね。
ちゃんと写真とってきます。
当時よりは目は肥えたはず。


最後に本丸から静岡市街を見おろすわたし。
持舟城から眺める静岡市街.jpg


ラベル: 静岡 静岡の城
posted by さら at 23:37| Comment(0) | 静岡の城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする