滋賀に行ってまいりました!
今回は若干リアルタイム記事です!
5月31日〜6月2日にかけて、Twitterで立ち上がった「
城ガール隊」の滋賀攻めが決行されました!
3月の第1回の模様も記事にしてませんが、好きに書いちゃいます☆
今回はNHK大津さんの取材がはいりました!
なんと、テレビデビューです!
いや〜びっくりな展開です。
私は前2日参加。
1日目は
小谷城。
丸っと6時間城内にいました。
(NHK大津取材同行)
2日目は
安土城、近江八幡山城。
3日目は不参加でしたので、
城ガール隊公式HPでお楽しみください☆
(取材再び同行)
小谷城は去年の大河ドラマ「江」でだいぶ賑わいましたね。
資料館がいろんなところに。
立ち寄ったのは、浅井歴史民族資料館と、小谷城戦国歴史資料館。
<浅井歴史民族資料館>は小谷城より車で10分ほどかかりますが、
分かりやすいジオラマがあります。
今からここを登るのかーと気合を入れる!
今回のルートは
山麓から徒歩で出丸〜金吾丸からずずずいと尾根を歩き、月所丸で時間切れで清水谷から下山しました。
当初の予定では、〜月所丸〜大嶽城〜清水谷に戻り、下山でしたが、全然足りませんでしたね〜
こちらの資料館の方、お市さんがとても詳しい説明をしてくださいました!
なんとブログで城ガール隊のことを紹介してくださいました!
<
お市のブログ【城ガール隊!】>
小谷に行くときはまた是非立ち寄りたい素敵な資料館です!
周辺のパンフレットもいろいろとあってよかったな〜
鎌刃城のまつり(現地説明会かな?)が四日後にあるそうで;いつか行きたい。
車ですこし移動して、
<小谷戦国資料館>こちらで百名城スタンプを!
またも少し移動して、小谷城登城口の駐車場。
ここにも城の縄張り図などが大きくパネルで紹介されていました。
期間限定なのかな?
ここは無料です。足湯もあるみたいだけど、お湯がはってなかったな〜。
そして、そこからちょろっとコンビニ(ファミマ)の方に歩く。
看板もないここから入ります!
いざー!
5分ほど坂道で
<出丸>主郭尾根の最先端にある曲輪。
独立した砦で、上下二段の曲輪。コの字形に土塁が囲むよ♪
写真は上の段から下を見下ろしたところ。
さてここから20分ほど・・・坂道!
<金吾丸>城ガール隊・隊長、流星さんの言うとおり、
ここまでがかなりつらい坂道・・・。
5月も最後の日、日差しも結構強く、汗もでます。
金吾丸は四段からなる郭も土塁もよくわからず…。藪がなくても分かりにくい遺構らしいです。
「1525年に朝倉氏が来援したときに構築して以後は修築は行っていないよう」
1525(大永5)年 観音寺城の六角定頼が小谷城を攻めてきたようです。
朝倉氏に救援を求め、同盟が成立した年でもあるのか。
階段で下ってもう少し歩くと
<番所跡>バスだとここまで来れます。
今はイベント期間中でバスしか無理だそうで(500円)
ここからは次々に曲輪がでてくる楽しい時間です!
でも、最初からてこずる私。
方角と合わせてるのに「ん??」ってなるー。
いちお縄張図にチェック入れながら歩いていたのですが
今見返すと何かがおかしい。
番所から御茶屋へ行く時には展望がよく望めるところがありました。
虎御前山が見えまして、
「あそこでキャンプして茶会宴して敦盛2011踊るか〜」って話で盛り上がっていたところを
撮られていたかもしれない(笑)
<御茶屋>当時の道は現在のところとは少し違うみたいですが、藪の中に隠れちゃってました。
御茶屋には庭の跡として、石がごろごろしてました。
いい感じで苔むしていました。
どんな庭があったのでしょうね。
城って、今はもう防衛施設として見ちゃってるけど、
居住空間もあるのだし、穏やかな時間も流れていたんですよね。
いつも攻める兵士や討ち死にする兵士を妄想してばっかりでもいけませんね。
御茶屋の上
<御馬屋>こちらは上(桜馬場)から
かなり広い。
出丸を広くした感じ。こういう土塁もとっても好き。囲われてる感じが好き。
真ん中あたりに井戸跡があるようで探してみると、
少し窪んだ部分がありました。
入り口には
馬洗池写真がヘタで全体がよくわかりませんが、
土橋のような土と石塁で仕切られています。
ここの構造が好きなんだけれど、
分かりやすく撮ってあるものがなかったです…。
<赤尾屋敷>浅井氏の重臣赤尾清綱の屋敷といわれてます。
三段になってます。
降りられなかったのですが、目視確認はできました。意外と広い。
しまった通路辺りを確認してませんでした。
<浅井長政自刃の地>
1573(天正元)年 織田勢に攻められここで最後を迎える。
信長を信じたかったかもしれない。
長政に信じてほしかったかもしれない。
それでも。
信念っていうのは揺ぎ無いものなのですね。
〜つづきます〜