2016年03月10日

薩摩土手を歩く(続)

続きです。


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切り株横の階段。

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真ん中の道が土手。
名残がありますね。

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小さな祠がいくつもあります。
水神社もいくつか。


現在の安倍川
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現在「さつま通り」となっている大通りは、もう一本の内堤があったようで、
柳町の交差点付近をみると道が盛り上がっているのがよくわかりました。
「土手通り」というのもあるのですが、
そちらは土手があったようには見えません。
どうしてその名がついたのか
また調べてみよう。
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本通り(旧東海道)までを歩きましたが
土手の名残が各所に残っていて、発見できて楽しかったです!
この安倍川の田町付近は昔処刑場があり、
駿府の町の外れですが見物にくる人が結構いたそうです。

最近昔の駿府の情景がいろいろ浮かんできて嬉しいやら悲しいやらです。
でも、これもこの土地の、人の歴史なのでもっといろいろ知りたいなぁ。



静岡、好き。


参考文献
※1「薩摩土手と駿府城下町」黒澤 脩
※2「さつま通り 薩摩土手の築堤と変遷」朝比奈 清
posted by さら at 20:35| Comment(0) | 駿府城と城下町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月09日

薩摩土手−駿府城築城のための治水事業−

静岡市民も知ってる人しか知らない「薩摩土手」
静岡市中心部に流れていた安倍川の流れを変えるための土手です。
これによって今日の静岡の街も水害から守られております。
家康の命によって薩摩藩主(島津忠恒)が築堤しました。

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現在でもその一部が残り、また住宅地に埋もれながらもその名残を感じることが出来ます。
一緒に歩いてくださったサイガさんのおかげです。



家康は江戸を離れ隠居の城を駿府の地に決めましたが、
最初は今の場所よりも安倍川に近い「川辺町」付近に計画していました。
しかし、安倍川の洪水などによって打撃を受けると分かると、今川館があった場所に決定します。
ちなみに、家康だけではなく、今川時代にも治水は行われているそうです。
今川氏親の時代、安倍川と藁科川の一部を合流させています。(※1)
今の藁科川は安倍川へ流れていますが、昔は安倍川と並行して海へ流れていたようです。


家康時代の安倍川の流れは
浅間神社の南麓(宮ケ崎町交差点)を分岐に麻機沼へ(北川)、また南へも二本の支流が流れていたようです。

中町にある静岡天満宮に
ここが中洲であったという牌が残っています。

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浅間通りを通って浅間神社を右にして安倍街道を歩きますと、
妙見下付近に「井宮神社」があります。
賤機山からの支尾根の先端にあり、結構急な高さです。
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この安倍街道は安倍川が流れていただろう場所で、小さな川も残っていました!
安倍川の流れによって山肌が削られていたかもしれません。
さらに、ここが薩摩土手のはじまりの場所ということを考えても
安倍川の流れが直撃してたでしょうね。
実際築堤後も何度か決壊もしているし。

というわけで、井宮神社から薩摩土手が続きます。
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昭和39年の写真(※2)をみるとまさに土手を断ち切って道を通したというのがわかります。
当時も大雨が降って洪水の恐れがあるときは、ここに木の板を何枚も重ね
市街地へ水がいかないようにしていたようです。
現在でも坂が少し残っています。
土手の横には安倍川の名残が。

当時の土手は
高さ5.4m
天端(上)10.8m
敷(地)22m
それが一本ではなく、2本、3本とあり、流れをかえて行ったようです。
今回歩いてるのは…一番駿府に近い位置かなと予想。


昔も今も生活用水のため街中へ流れるための水門も各所に設けられていたようで
昭和40年頃までは水が流れていたようです。
その後埋められてはいますが、位置は確認できます。


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石垣
水門の近くにあるここだけしか確認できませんでしたが、他にもあるのかな?
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この先の土手は新しいもので、本来はもう少し内側にあったようなので
その痕跡を辿りました。
(歩きつつわかったことですが←サイガ先生がw)

さつま通り(内堤だった)のカーマを曲がると
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道路に高さがあるのがわかります。

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途中にあったこの古株、サイガさんもおっしゃっていました。
本(※2)にも「古い切り株が3本ある」とあるけれど、ここではなさそう。
今はないのかな。


高低差。

良い。
テンションあがっております。

写真が貼れないので
続きます。


参考文献
※1「薩摩土手と駿府城下町」黒澤 脩
※2「さつま通り 薩摩土手の築堤と変遷」朝比奈 清
ラベル:静岡の城 静岡
posted by さら at 21:52| Comment(0) | 駿府城と城下町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月28日

駿府城の刻印たち

家康が天下普請で築城にあたった駿府城。
刻印は150種類300箇所あるそうです。

私はいくつ見つけられるのかしら。

刻印にはキリシタンであることを意味するものもあるそう。
同じ大名でいくつも種類があったり。

刻印一つでもいろんなことがわかるんだなぁ。
(難しくて読みきれてない)

現在は三の堀、草深御門の少し南側が崩れていまして、修復中です!!

あと、とにかく草深御門の石垣が孕みすぎてて怖い。
次地震来たら危ないー。
経過みときます。









posted by さら at 20:47| Comment(0) | 駿府城と城下町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月04日

駿府城

私の一番身近なお城。
徳川家康の晩年の城、駿府城です。


昔は駿府城としてというよりも「駿府公園」としてしか見ていなかったので
お堀の鯉や鳩にパンをあげに行っていました。

それでも朝っぱらから一人電車で行くくらい好きだったんですね。
(昔は電車で15分ほどのところに。現在は自転車ですぐ)

平成元年に巽櫓(たつみやぐら)が復元完成。
平成8年には二の丸東御門が復元完成しました。

まだ新しいので綺麗です。



東御門(櫓門と多聞櫓)
駿府城二ノ丸の東に位置する出入り口
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二ノ丸堀に架かる高麗門、そして巽櫓。(後ろは県庁)
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巽櫓
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本丸堀からの東御門
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こんなすごい城下が広がっていたのですね。
典型的な輪郭式
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そして今はなき五重七階の天守…の模型
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1610年に完成した天守閣は、1635年に城下で発生した火災にて、御殿、櫓、塀などと共に焼失してしまいます。

その後、天守閣は再建されず、現在の天守閣跡には何もありません。
市民の憩いの場です。


個人的には駿府城で見ものなのは、水堀+石垣!!
二ノ丸堀はぐるりと一周できますし、三の丸堀もかなり残っています。
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北御門裏
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もちろん改修工事の跡はすごいのですが
これも見もの。
一箇所でいろんな時代の石垣が楽しめるところもあります。
まぁ見た目は余り綺麗ではないかもしれませんが
これも歴史だと思えば…。

(平成21年(2009)8月11日に発生した地震により
駿府城の石垣は四ヵ所ほど崩れてしまいました。
23年11月現在も工事をしています。
その工事事務所に立ち寄ると、「駿府城の石垣」というパンフレットをもらえました。
復旧工事の仕方や、駿府の石垣についてが分かりやすく載っています。)



そして駿府城は、全国各地の諸大名に命令し築城させる天下普請のお城です。
その責任者達が「ここは自分たちがやったよ!」「しっかりやってるよ!」
ということを示すための刻印が、現在も残っています。

北門の裏側にいくつも見られます。
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その他にもあるのですが
たまに昭和のイタズラ刻印もあるので注意。
(南側駿府公園入り口の橋左側にあるものは昭和のものだと石垣改修工事の方に聞きました)
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駿府城については随時新しい記事を書いていきたいと思います。
いつも見慣れすぎていてちゃんとした写真を撮っていないと気付きましたので
今度駿府城をじっくり歩き回ってみます。



【駿府城】
縄張:輪郭式平山城
築城:1586年(天正14年)
城主:徳川家康〜
遺構:石垣・堀 
復元→東御門・多聞櫓・二ノ丸巽櫓

JR静岡駅より徒歩15分
現在は「駿府公園」として市民の憩いの場

ラベル:静岡 静岡の城
posted by さら at 10:23| Comment(0) | 駿府城と城下町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする