2016年04月19日

八幡山砦、二つ山砦―田中城攻めの陣城―

この日は志太郡周辺の城をいくつか回りました。
駿河のとなりでよく通る付近なのに行っていない城ばかり。
気になっていた場所にやっと足を踏み入れます。

【八幡山砦(やわたやまとりで)】
藤枝市の国道一号線と葉梨川とが交差する北「青山八幡宮」が八幡山砦です。
桜が綺麗な時期でした。

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青山八幡宮は、この山が京都の清水寺がある男山に似ていることからその別宮として
1063年頃に建てられたそうです。
戦国時代にはすでに500年以上経ってるんですね。

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土塁が残っていますが、どうなっていたかはよくわかりません。
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切岸下にある穴地形
何に使ったのかな。

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堀切や竪土塁(?)も見られます。
南側は斜面も急で、葉梨川が流れていて、天然の堀。
南に田中城(徳之一色城)があります。



武田領になった田中城を攻めた徳川方の陣城として「二つ山砦」がありますが、
八幡山砦も距離的にも近く、徳川方の陣城として運用された可能性があります。
(参考資料 「静岡県の城跡 中部駿河国版」)


二つ山砦も行きました。
【二つ山南砦(正泉寺山)】
主要部削平地のほかはよくわかりません。
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【二つ山北砦(藤五郎山)】
岩城神社(八幡山)となっている一帯。
かなり広いです。
昔は西側に藤五郎山、東に池田山があって、
もっと大きな陣城だった可能性があるそうです。
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葉梨川を挟んで北に八幡山砦。
瀬戸川を挟んで南西に二つ山砦(と烏帽子山砦も)。
田中城に睨みをきかせてたということがわかりました。



次は花沢城に行きました。

ラベル:静岡の城 静岡
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2016年04月07日

桜咲く駿府城2016

桜満開です。
去年か一昨年植えられた桜がかなりいい枝振りになっていて、
整備された西側もきれいでした。


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このお花見!って感じ好き。

人に聞いた話ですが
遺構には桜はよろしくないそうですね。
根が這って石垣や土塁を傷めてしまうとか。

2011年の8月の地震で駿府城の石垣が数ヶ所崩れました。
石垣の上の土塁に桜の木があり、
その木が堀に倒れて石垣もガラガラと崩れていた印象があります。
そういうことなのかな
と思っていますが
やはり城が映える桜はいいなと思いますね。この時期は特に。

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でもこの石垣や土塁が崩れるのはやっぱり嫌だ(^_^;)
どう保存していくのが一番いいのかな。

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夜も賑わっていました。
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来年も見れますように。
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駿府城―大手門と城代橋―

4月1日〜5日は静岡浅間神社で行われる「廿日会祭」
4月1日〜3日は静岡まつりで、静岡市街は大変にぎわっていました。

4月6日、城の日ですね。桜満開で見頃でしたので大手門周辺を少し歩きました。


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駿府城の大手です。
ここを通らない人が多いのであまり知られていませんが
やはり大手門の石垣。綺麗です。
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しっかり枡形。
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どこが積み直しとかがわかりませんが
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この積み方が明らかに違う部分が、ちょうど門のあったところですね。
どんな門だったのでしょうか。
地面に礎石跡の位置が記してあります。

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城代橋
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ここの城内側の土塁が好きです。
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昔はこの小道をこれが城の遺構だと知らずに歩いていたな。(新静岡駅への近道なので)

旧青葉小学校は城代邸跡。
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今回発見した碑(^_^;)



ラベル:静岡の城 静岡
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2016年04月05日

遠州龍潭寺−井伊氏菩提寺−

遠州龍潭寺。
引佐町井伊谷にある、井伊氏の菩提寺です。
南朝の宗良親王の菩提寺でもあります。


すでに来年の大河ドラマ「おんな城主直虎」の影響がでており、駐車場は満車でした。
来年は大変なことになりそうですね。
路線バスも本数が少なく、道も狭い。天浜線の駅からも遠い。
遠いけど浜松駅からの直通バスを希望します。絶対利用客いますよ。

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県指定文化財 庫裡
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小堀遠州作庭園
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墓所もあります。
桜がきれいでした。


2017年の大河ドラマが「おんな城主 直虎」になりましたが、
その存在を知っていた人がどれほどいるのでしょうか?
私は全く知りませんでした。
ですが、「静岡県!!遠州!!」ということでものすごく嬉しいです。
嬉しいのですが、かなり不安な点があります。


まず、脚本家とプロデューサーのインタビューの記事を見て落胆しました。
はちゃめちゃなことやりそうな気しかしません。

私は調べた訳ではなく、直虎が主人公となっている「小説」を2冊読んだだけです。
そもそも資料が乏しい歴史上の人物を大河主人公にするのは「脚色してなんぼ」になると思います。
ドラマなのですから当たり前ですよね。
あらすじを見ていると恋愛重視になりそうな気もします。
最悪、どうにか「面白く」するためにファンタジー大河になってしまっても、
しかたがないと思うております…。
そんな心構えをしつつ個人的には
 恋愛どっぷりは嫌だな。
 かといって「強い!たくましい!」だけにならないでほしい。
 今川義元のイメージが《弱》から《悪》になるのでは?
など期待と不安が入り混じっております。
ただ、知名度が低い主人公だからこそ、ほんとうに歴史好きな方々に作っていただきたいです。
今年の大河にすでに嫉妬|д゚)
いやいや、応援しております。

浜松の方では講演会も増えているようですね。
一度くらいは聞いてみたいです。
この日は時間がなかったので龍潭寺のみでしたが、
周辺もう少し歩いてみたいです。


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井伊氏発祥の井戸は歩いてすぐの田んぼの中にありました。
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来年までに、もっといろいろ知りたいですねー。
会わせてオフ会もやりたいな。

ラベル:静岡
posted by さら at 14:55| Comment(0) | 静岡の城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月04日

城之崎城(見付古城)−地形を見る−

磐田原台地の先端部分にある城之崎城(きのさきじょう)。
現在は磐田城山球場になっていました。
ででん。
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武田と徳川が遠江を取り合っていた時期に、
遠江支配の居城として徳川家康が築城。

土塁のあとを利用して外野席になっていました。
現代の有効活用(涙)…(嬉)
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土塁上

にしても高いです!
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周りも土塁そのままになっている(ような気がする)部分もあり。
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東側には堀跡も残っていましたがかなり大きくてびっくり。
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古地図を見ると、街道側以外の城の周りが「入江」「沼」となっていました。
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高低差がすごい。
これは上の写真の堀から続いてたのか、自然に落ちてた地形のかわかりません。
でもここが台地なのはよくわかります。


ネットで磐田市の地形を調べると、磐田原大地の先端地域は
ほとんど湿地帯や潟湖になっているようです。
岡崎城(袋井市)や馬伏塚城もこの一帯で、潟湖に囲まれていたようです。
袋井市の方もまた行ってみなくては。


その土地の地形や地質、水質を知ることが、
そこに生きてきた人の歴史を感じられる一つの大きな史料だと
最近よく思います。




私が城や史跡が好きなのって
そこに生きた人たちの足跡、息吹が感じられるからなんですよね。
なんかくさいこと言ってますがほんとにそれに尽きる気がします。
だから本当はもっと「人物」とか「生活」とかに焦点を当てた歴史の見方をしたらいいのですが、
現代でも目に見えるものってすごくないですか?
当時の人間が見ていたものが、今の私にも見れるってすごいなっていつも思います。


「すごい」に変わる言葉を探していきたいです。。。
すごいの一言ではないんですが私のあれが足りないばかりに(;´д`)

県内でも行ったことのない場所は沢山あるし、磐田市もなーんにも気にせず通過してるだけでした。
こうやってまた一つ、地域のこと(+歴史)を知れてとても嬉しい。



この日はこのまま三方ヶ原を抜けて
井伊谷へ行きました!!!
天竜川水系のことも知りたいなー。
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posted by さら at 21:40| Comment(0) | 静岡の城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月03日

福王寺−今川範国の墓−

磐田市はあまり行きませんが城仲間さんに案内して頂きました!
ありがたいです!
地形を見るために磐田もっと行きたい衝動がすごい。


【福王寺】
先週行ってきました。
目的では無かったのですが偶然!
今川範国さんのお墓がこちらにありました。

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今川範国(のりくに)は駿河今川氏の初代です。
南北朝時代、足利尊氏に従い北朝軍として活躍し、
その功績によって遠江・駿河の守護職に任じられ
この地を守っていくことになります。

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お墓は磐田市前の定光寺にもあるようですね。(wiki)
一応「伝」とありました。

福王寺は安倍晴明が祈祷を行った場所ということでも有名らしいです。

山門もすばらしです。

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今頃桜が綺麗に咲いていそうですね。


ここから見ると磐田原台地に向かっての高低差がすごいです。
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(これは台地側からみた写真)

登るとそこには
【城之崎城】がありますのでぜひ一緒に!
高校と城山球場になっております。

次の記事で。
ラベル:今川氏
posted by さら at 00:03| Comment(0) | 今川氏関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月19日

駿府城の二ノ堀

静岡平野は賤機山の南麓を中心に扇状地の地形になっています。

ということは、駿府城全体も若干の高低差があるわけです。
浅間さんの方が高いので西から東ですね。

小さい頃から駿府城に行っているので
あまり気にとめて見ていませんでした。

北門付近の看板(公園内)
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分かりやすので公園地図を。
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北門橋からみる東側
かなり歩道と近いですね。
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西側
外側の石垣をみると斜めになってるのが一番わかりやすい。
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現二ノ丸橋からみる東側
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西側
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西側の堀(坤櫓下から見る)
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外堀(西側)はもっと深くなります。
外堀の石垣好きなのでまた改めて記事かきます(^-^)
桜の時期ももうすぐですね。
満開で綺麗ですよ。

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祭りももうすぐ。


ラベル:静岡の城 静岡
posted by さら at 19:37| Comment(0) | 駿府城と城下町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月10日

薩摩土手を歩く(続)

続きです。


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切り株横の階段。

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真ん中の道が土手。
名残がありますね。

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小さな祠がいくつもあります。
水神社もいくつか。


現在の安倍川
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現在「さつま通り」となっている大通りは、もう一本の内堤があったようで、
柳町の交差点付近をみると道が盛り上がっているのがよくわかりました。
「土手通り」というのもあるのですが、
そちらは土手があったようには見えません。
どうしてその名がついたのか
また調べてみよう。
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本通り(旧東海道)までを歩きましたが
土手の名残が各所に残っていて、発見できて楽しかったです!
この安倍川の田町付近は昔処刑場があり、
駿府の町の外れですが見物にくる人が結構いたそうです。

最近昔の駿府の情景がいろいろ浮かんできて嬉しいやら悲しいやらです。
でも、これもこの土地の、人の歴史なのでもっといろいろ知りたいなぁ。



静岡、好き。


参考文献
※1「薩摩土手と駿府城下町」黒澤 脩
※2「さつま通り 薩摩土手の築堤と変遷」朝比奈 清
posted by さら at 20:35| Comment(0) | 駿府城と城下町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする